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 東京五輪の金メダリストの中村さんが死去。大松監督が育てた人!

 1964年東京五輪で金メダルを獲得したバレーボール女子の全日本チーム主将、中村昌枝(なかむら・まさえ=旧姓・河西)さんが10月3日午前0時30分、脳出血のため東京都内の病院で死去、80歳だった。  ご冥福を祈ります。
 中村さんは山梨県出身。1954年にニチボー貝塚に移籍して大松博文監督(故人)と出会い、猛練習の末、セッターとしての才能が開花。1961年、全日本の主力を占めていたニチボー貝塚は欧州遠征で連戦連勝し、その強さからソ連のメディアが「東洋の魔女」と称した。62年世界選手権でも金メダル。1965年5月30日に当時の総理大臣佐藤栄作の取り計らいで2歳年上の自衛官と結婚。この選手を育てたのが大松監督です。
 その大松監督が小野市に昭和40年代に講演しに来たことがあります。講演の合間、休憩を我が自宅の応接室を使っていたようです。たぶん私の母親が呼んで来たのでこうなったと思います。当時母親は小野加東連合婦人会長をしておりました。私は中学生だったと思いますが、「できの悪い息子に喝をいれて・・・」という感じだったのかは記憶は定かではありません。