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 終末期医療の患者さんが亡くなられました。

 在宅で最後を迎えるために、私が往診に行っていました。そのAさんが亡くなられました。
 10年くらい前にがんになり、そして全身転移し、つい最近までいろいろな治療をし、やっとここまできたところです。
 しかし、もうすること(治療)がなくなり、在宅でゆっくりと最後を送る状況になってしまいました。8月下旬から往診に行ってますが、ほぼ毎日のように約20日間ほど、亡くなるまで行きました。
 私はこの患者さんに対してなにもできず、診察に行くだけです。ご家族に診察所見を伝え、今後の見通しをお話していました。もうすでに血尿が出ており、DIC(播種性血管内凝固症候群)の兆候がありました。ところが、往診3日目に不思議なことに血尿がなくなり、すこし元気になっているかのようになりました。しかし、出血斑は少し増えていました。でもこれは小さな奇跡です。DICがありますので、いつ急変してもいい状態だったのですが、持続的な出血が止まっているからです。
 ご本人は、終末期医療の往診を2つの医療機関に断られています。わらをもつかむ状況で、「3度目の正直!」で私に往診を頼んできました。そしてはじめて往診に行ったとき、ぼくと会うと、とても笑顔で挨拶してくれました。あとで聞いた話ですが、あんなやさしい医者に早く巡り合いたかったと云っていたそうです。
 断られて一時は絶望感を味わったご本人ですが、この絶望感から開放されて、この世から旅立ってくれたと思います。

 ホームランは55本以上はありえない!?(その3)

 もうひとり、「しょうがない」と語っていた日本人選手。

 もうひとり「しょうがない」と語っていた選手が、松井秀喜だ。松井は巨人時代、自分と本塁打王を争っているライバルを味方の投手が敬遠するのを外野から眺めながら「勝負しろよ」と思っていたという。

「日本のプロ野球がああいう歴史をつくってしまった。だから、しょうがないんですけど、僕は納得してなかったですよ。個人にタイトルを取らせるためにああいうことをするのは。野球はそういうスポーツではない」

 でも松井も言わなかった。いや、言えなかったのだ。自分のためにやってくれているというのもある。そして、そうまでしてもタイトルが欲しいという思いがまったくなかったと言えば嘘になるだろう。

「ショウガナイ」を解消する確実な方法。

 ラミレスや松井の話を聞き、こうした慣習が日本球界から消えることは未来永劫ないのではないかと思った。

 ただし、ラミレスが語った2つ目の「ショウガナイ」を解消する方法は確実にひとつある。誰かが記録を塗り替えればいいのだ。

 バレンティンが現在52本。残りは30試合。このままのペースでいけば悠々55本をクリアしそうな気配だ。

 大事なのは「悠々」超えることだ。バースも、ローズも、カブレラも、残り数試合まで記録達成を引っ張った。そこで対戦した「関係者球団」は半ば、やらざるをえなくなってしまったのだ。日本人の総意として――。
 セ・リーグの中で「関係者球団」と言えるのは巨人だけだ。だが残り十数試合もあるのにさすがに敬遠はできまい。
 とにかく一気に抜き去ることだ。そうすれば、日本人の総意という見えない壁は崩壊する

 こんなちっぽけな「日本人の総意」は、早くなくなってほしい。ボールが飛ぶんだから記録は破られてあたりまえ!
 

 ホームランは55本以上はありえない!?(その2)

 ある新聞の記事です。

 プロ野球を観ていて、やむをえないと諦めつつも、どこか割り切れなさが残るのがタイトル争いにまつわる敬遠や不出場だ。そして今、ヤクルトのバレンティンが55本を超えるかどうか注目を集めている。

 シーズン開幕前、DeNAのラミレスに2時間ほどインタビューしたとき、日本の野球が心底好きだというラミレスに、あえて否定的なことを言わせたくなり「タイトル争いのときに敬遠したりすることについてどう思うか」と尋ねている。
 ところがラミレスは実に冷静というか、ある意味、達観していた。
「外国人として受け入れがたいことは『ショウガナイ』って思うことが大事。ジャパニーズスタイルは理解しているよ」
「自分が監督でも敬遠していたんじゃないかな」
 ラミレスは巨人時代、2008年に横浜(球団名は当時。以下同)の村田修一とホームラン王争いをしているとき、横浜戦で4度敬遠されたことがある。
「自分が監督でも同じことをしていたんじゃないかな。ショウガナイ。チームにタイトル争いのトップに立つ選手がいたら、その選手を守るのは監督の重要な仕事。自分も首位打者争いをしているときに(打率を下げないために)試合に出なかったことがある。たとえ、それを他人に批判されても自分はまったく気にならない。そういうことをしたくなかったら、選手はぶっちぎりの成績を残せばいいだけのこと」
 さらに王貞治の年間最多本塁打記録55本にまつわる過去の敬遠騒動についても聞いた。これまで'85年のランディ・バース(阪神)が54本で、'01年のタフィ・ローズ(近鉄)と'02年のアレックス・カブレラ(西武)が55本で、それぞれ1試合ずつだが四球攻めという洗礼を浴びている。
 バースは巨人に、ローズとカブレラはダイエー(現ソフトバンク)に勝負を避けられた。監督はいずれも王だったが、王の指示ではなく周囲の配慮だったようだ。
 ラミレスは「外国人で55本を破る人は出てこないのでは」と語っていた。
「王さんはやっぱりキング。キングであり続けて欲しいというのは日本人の総意だから。僕が監督でも相手が日本人だったらどんどん投げさせるけど、外国人だったら歩かせるかも。ショウガナイ。ショウガナイネ」
 もっとも違和感を覚えているはずの外国人であるラミレスが言うのだから、やはり本当に「ショウガナイ」のではないかと思った。

 でも、王さんも台湾出身の外人ですよ!!

 花巻東の千葉選手(身長156cm)の賛否!?

 現在プロ野球で最も身長が低いのは、163センチの横浜DeNA・内村賢介内野手。150センチ台の千葉選手がプロ入りすれば、史上まれに見る小柄な選手だが、その分投手は戸惑い、ストライクが入らないことも考えられる。
 ただし、ある巨人球団幹部はこうも指摘する。「おもしろい選手だとは思うが、プロでは相手投手は、粘られて投球数がかさんだ揚げ句、四球を出すくらいなら、1球でぶつけてしまえ-という発想になるかも。そうなると、体がどこまで持つか…」と云ってますが、こんなことをいうから巨人が嫌いになる原因を作っています。プロはフェアプレーが原則です!それを破ればファンは遠ざかっていきます。もっと前向きなコメントがほしいものですね!
 別の球界OBは、「ファウルを打つことだけに徹していて、完全に相手の体力を奪うことが目的になっている。あれは高校野球だから許される。故意的な遅延行為だ」と批判的だったが、高校野球特別規則・17「バントの定義」によると;「バントとは、バットをスイングしないで、内野をゆるく転がるように意識的にミートした打球である。自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルするような、いわゆる“カット打法”は、そのときの打者の動作(バットをスイングしたか否か)により、審判がバントと判断する場合もある」。即ち千葉君の打法はバントとみなされ、注意を受けています。準決勝で「カット打法」が使えず、出塁率80%が0%で結果的に敗退してしまいました。
 でもプロ野球ではバントとみなさないかもしれません。そうすれば、もっとも嫌な選手で名を残す(名選手)かもしれません。

 高校野球はもっと球児のことを考えてほしい!(その1)

 いつも高校野球を観て思うことがあります。
気になること;花巻東5-4鳴門の試合(8月19日)で、花巻東の156センチの千葉翔太外野手(3年)が、5打席5出塁と3回戦の済美戦に続き、大活躍した。
 1回の第1打席は13球粘って四球。第2打席は2球目を打って中前へクリーンヒット。第3打席、第4打席はいずれも8球粘って四球。第5打席は10球粘って四球と鳴門のエース板東に計41球(全投球数は163)も投げさせたと新聞の記事として載っています。
 私にしてみたら、鳴門の坂東投手はほぼ一人で投げ勝ってきている将来有望な選手です。それを疲れさせて花巻東が逆転で勝っていますが、作戦とはいえあまりフェアーとは思えません。
 以前の夏の甲子園で、2回戦の明徳義塾高校戦で星陵高校は敗退しています。この試合で元巨人・元ヤンキースの松井が受けた5打席連続敬遠は、高野連が急遽記者会見を開くなど、社会問題にまで発展。明徳義塾監督の馬淵史郎氏は試合後、「(星稜の練習を見て)高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた」とコメントしている。これもフェアーでないかもしれないがしかないですね。

 別荘を売る仕事は厳しい!!

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 新しく仕事を始めるのは結構大変なのがわかりました。キャンペーンの日はお客はゼロでした。かなりショックでした。
 私個人としては、以前別荘を持っていた人がこのプロジェクトを知ったら、安くて別荘が手に入っていい話と思うと推測していました。完全に想定外の話になってしまいました。
 売り方、アピールの仕方がいまひとつという念もあります。やっとホームページができましたので、ネット販売でトライしたいと思います。またテレビを利用するのを考えています。

 レジーアマリンビレッジ;http://setouchi-v.jp/

 なかなか上手くできています。段階の世代などが別荘でもいいし、永住してもいいし、船を持っておればますます格安物件になっている話です。
 写真は左上;温泉付きのお風呂
    右上;酸素カプセル
    左下;リラックスチェアー
    右下;水素水サーバー
など、このレジーアマリンビレッジに入所するとすべて無料で使用することができます。かなりいい話なんで、きっとみなさん分かってくれると信じ、販売したいと思います。

 アレルギーの女児、給食おかわりして死亡!(去年12月)

〈事故の経緯〉調布市立富士見台小で昨年12月、給食を食べた後に、食物アレルギーのある5年女児が死亡した。アレルギーによるアナフィラキシーショックとみられる。女児は乳製品にアレルギーがあったが、女児がおかわりを求めた際、担任教諭は食べられない食材が記入された一覧表を確認しないまま、チーズが入ったチヂミを渡していた。ショックの発症が先生がわからず、エピペン(ショックの治療注射)を女児は持っていましたが、使用するのが遅く帰らぬ人になってしまいました。もしそばにショックを見たことのない医者がいても、ショックだとは思わないでしょう。先生が発見するのが遅れたいうのはかわいそうな気がします。
 「女児両親のメッセージ」
 おかわりをしたために起きたことを踏まえ、食物アレルギーがある子どもには、アレルギー食材の除去食だけでなく、おかわりを全面的に禁止することを求めた。各種対策が施され、安全が確保されるまでの措置という。また、アレルギーのある子には、常に異なる色のトレーを使うとした。 さらに、重いアレルギーの原因となるピーナツ、そばは学校給食では使用禁止とする対策を挙げた。
 教員や栄養士への研修を徹底し、子どもに対しても食物アレルギーを正しく理解するよう、授業の中で指導することも求めている。
 また、食物アレルギー事故が起きた場合に教員が教室などから専門医のホットラインに連絡できるよう、携帯電話などを各校に配備することも盛り込んだ。
 同市立小の教室には内線電話はなく、通常は教員も携帯電話を教室に持ち込んでいないため、現在は医師などに連絡するには職員室まで行く必要がある。
 各校の給食室は子どもに同じ料理を出すことを想定して造られ、除去食を用意するスペースや設備は十分に整っていない。このため中長期的な対策として、食物アレルギーに対応した調理や配膳をするスペースを設けることも提案した。
 このほか各校の態勢として、アレルギー対応について教職員の役割分担を明確にすることも求めている。

 これだけを関係者全員にしっかりと徹底するのには時間と費用がかかります。私が親なら弁当にした方が 親も安心、周囲の手を取らないと思います。
 学校の先生はもっといじめに対して真剣に取り組んでくれる方がいいように思うのは私だけでしょうか?

 ボトックスの勉強会に行ってきました。

 私自身肋骨々折がありましたので、勉強会は億劫になっておりました。
 6月30日の土曜日にボトックスの研修会があったので、姫路キャッスルホテルに行き、参加してきました。寂しいかな、たった5人の医者しか来ていませんでした。関心がないというより、ボトックスを使用するとき保険適応でするなら、規制がいっぱいあって、とても面倒になっています。だから出席しないかもしれません。
 ボトックスの注射の実践練習ですが、人間の右上肢の実物大模型があり、部位を決めて、針を刺しまくってきました!生の人間なら怒られるところです。実際はターゲットの筋肉にキチンと刺さらないと効果がありません。エコーを使用して針を刺さないとできないと思いますので、開業医には難しい話になります。
 但し、大きな筋肉;下肢痙縮などなら、エコーを使用しなくても目視で大腿二頭筋やふくらはぎなどに穿刺ができると思います。寝たきりで、運ぶに運べない患者さんなどはしかたがない、下肢痙縮があるとオムツ交換すら大変な業務になります。早く役に立つ医者になりたいです!

 白血病の患者さんが亡くなられました。

 終末期医療で当院に頼まれた70過ぎの男性です。
 3月中旬から往診に行ってました。進行性の貧血があるので、輸血をしないと生きていけなくなります。
 家族から連絡があり「輸血はしない。自宅でゆっくりさせてほしい」とのことでした。
 現在の状態がどんなものか、採血をしてみたところ、貧血が正常の20%以下に、また血小板もかなり減少していました。なにを意味しているかというと「DIC(播種性血管内凝固症候群)」が起こりつつあるということです。つまり急変する兆候が出ております。また尿のバルーンカテーテルを入れるとき、出血がみられていました。
 検査データの説明はしたのですが、急変しやすい状態だと言えなかったのが反省点です。往診時に他の来客があって、充分にご家族に説明ができませんでした。結果的には、採血した2日後に亡くなられています。
 25年も往診をしていると、なんとなく死期がいつ頃か、半分以上のケースでは、わかるようになっていましたが、今回はうまく伝えることができませんでした。

 トリカブト事件とは

 1986年5月20日に殺人事件は起こった。容疑者「神谷力」はすでに2人の妻が不審な死をなしていた。妻利佐子さんは、沖縄へ行き夫神谷が急用があると別れた後、1時間半後に急に苦しみだし2時間後には亡くなっていた。二か月前に保険金18500万(毎月18万5千円の掛け金)を契約していた。利佐子さんの遺体からトリカブ毒を検出、しかしその毒は即効性であるため、2時間後に亡くなっているため、神谷はアリバイを主張していた。その後ふぐを大量に購入していることがわかり、トリカブト毒とふぐ毒を混ぜるとトリカブト毒が遅れて作用することが彼は知っていたようです。遺体の血液を再度分析するとふぐ毒も検出されてアリバイは崩れました。

 -3人の妻の不審死-
 神谷は昭和14年に宮城県仙台市で出生。父親は東北大学の教授で知的水準の高い家庭に生まれ育った。神谷が小学校5年生の時、母親が目の前で服毒自殺するというショッキングな経験をしている。その後、東北大学の受験に失敗し神谷は上京。東京の池袋にある書店に勤めた。
 それ以降、神谷は職を転々としながらも結婚を3回繰り返し、全て妻が突然死するのである