「おれについてこい」
「なせばなる」
この言葉に見憶えはないでしょうか!
大松さんは「鬼の大松」いわれていますが、すばらしい言葉を残しています。
大松監督は1954年(昭和29年)、ニチボー貝塚女子バレーボール部監督に33才で就任。「鬼の大松」と呼ばれるほどの徹底したスパルタ式のトレーニングは世間を騒がせるほどであった。(午後4時~12時まで365日休みなしで練習!今なら虐待で社会問題になっているかも?)
1958年(昭和33年)には、当時の日本国内の四大タイトル(全日本総合、全日本実業団、都市対抗、国民体育大会)をニチボー貝塚は独占しています。
1961年(昭和36年)、ヨーロッパ遠征での全勝により、ロシアのメデアが「東洋の魔女」と呼ばせるほどの成長を遂げさせています。
1962年(昭和37年)、第4回女子世界選手権(ロシア大会)で優勝。
1964年(昭和39年)、東京オリンピックでは、全日本女子バレーボールチームを、「回転レシーブ」に象徴される守備を重視した戦法により金メダルに輝かせる。選手への『おれについてこい!』『なせば成る』(上杉鷹山の言から引用。)などの名文句からは著書を生み出し、『おれについてこい!』は同タイトルで映画化もされています。
同年の末、ニチボーを退社。当時43才
1965年(昭和40年)、周恩来の招きにより中国を訪問し、中国女子バレーチームの礎に貢献。
その後47才で自民党公認で参議院議員になられ、その頃に私の実家を講演の際の休憩に使ってくれたようです。次の選挙(53才)では落選し、再度、バレー界に戻ってイトーヨーカ堂バレー部の創部に力添えしています。。
57才の時に心筋梗塞で亡くなられています。
当時大松監督に質問したことを思い出しました。
「女子チームで、もっとも困ったことはなんですか?」
「男子チームと違って女子は生理があるので、女の扱い方がなかなかわからなかった」ということは、監督は女性としてみていて、本当は優しい人「鬼の大松」ではなく「仏の大松」だったかもしれません!